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18歳夏…

公開日: : 最終更新日:2018/08/02 ブログ

もう46年にもなるんだなぁ。本日7月30日、18歳だった私は北九州小倉駅からバック片手に夜汽車で東京に向かった。1972年のことだった。まだ大学1年生。夏休みの最中。「ひとまず行っといで。すぐ帰って来るんだよ」と母は自らの2万円、父の財布からくすねた5万円を私に手渡してそう見送ってくれた。私自身もアルバイトで貯めた2万5千円を持っていた。その時分としては18歳にして金持ちの気分。九州スポーツ紙を手に思い立っての旅立ち。その日、各スポーツ紙の一面は「ジャイアント馬場、日本プロレスに辞表提出!独立へ!」の記事であった。18歳の若さゆえのはやる気持ちを押さえ切れず父に内緒で上京を決意した。(あのジャイアント馬場が独立するんだ!これは東京に行かなければ!)子供時分からの馬場ファンとしての根拠はあっても東京には何の宛ても伝もなかった。辞表提出したばかりでまだ全日本プロレスが創立前のこと。何を焦っていたのか!いてもたっても居られなかったのか?若さゆえの暴走だね(笑)。「ひとまず行っておいで」がこれ迄の 長き道程の始まりだったんだなぁ。

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Comment

  1. より:

    渕選手へ
    若き情熱、拝見しました。実際に行動されたこの時にもご縁が有った様に思います。ここまでご縁を繋いで頂いた事に感謝致します。おかげ様でプロレス観戦する事が出来ています。これからもご縁を繋いで頂きたく存じます。台風が明けて如何お過ごしでしょうか。夏本番ですが何卒お疲れになどなりません様にご自愛くださいませ。続きのお話を楽しみにしております。

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