ハーリーレイス死去の報
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8月となり本格的夏シーズンとなった。猛暑日が続き日々暑い!1週間前との温度差で体調不良になりそうだ。そんな中、ハーリーレイス死去の報が入ってきた。76歳か…。現役として最後に来日したのは、いつであったろうか?腰痛が酷くてつらいとあの常に強気の男だったレイスが腰を擦りながらこぼしていたことを覚えている。私はタッグで2度試合をしたことがある。プライベートでは日本でもアメリカでも何度も飲みに行った。フロリダのタンパでたった1度だけ私が御馳走したことがある。レイスは苦笑いしながら受けてくれた。1980年代初頭、レイスは別格のトップレスラー、こっちは単なる日本から来た若僧。店にいた他のレスラー連中が少し引いた目で親しく飲んでいる我々を見つめていたのを思い出す(笑)。私がアメリカ遠征時、1980年代前半、アメリカマット界に人気絶頂の3人のヒーローがいた。アンドレ、ホーガン、ローデス。この3人はアメリカテアトリー何処に行っても別格のヒーローたった。それに対する敵役のトップも3人。フレアー、ニック、そして
ハーリーレイス。まさにこの6人は別格だったなぁ。むろんファンクス、ブリスコ兄弟もいたけどさぁ…。当時の状況はこの6人はすごかった。ファンクス、ブリスコ兄弟、マスカラスは70年代だな。レイスは初来日は1968年だから馬場さんとの付き合いを考えるとファンクスやブッチャーよりも長い。馬場さんに2度NWA世界タイトルを取られているんだが、2度共取り返し尚且つPWFタイトルと鶴田さんのUNタイトルを奪取した。馬場さんとのボディスラムの攻防は今だに脳裏に焼き付いている。受け身の巧さは天下一品だった。誰が相手でも自分の試合テンポとスタイルは変えなかった。すべてハーリーレイススタイルの試合となった。相手がアンドレでもホーガンでもロビンソンでも。1979年だったか?全日本マットで行われたディックマードックとの1時間マッチは私が実際に見た試合の中でベストバウトの1つだと記憶している。合掌。
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渕選手へ
ブログ拝見しました。プロレス誌を飾った選手の訃報に驚きました。お酒の思い出を綴って頂きましたので私も献杯致します。心からご冥福をお祈り致します。