輪島さんの想い出
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いろいろある…。プロレス界でわずか3年のお付き合いだが。よく一緒に飲みに行った。と言うか、飲みに連れて行ってもらった。赤坂が多かったな。「北ノ湖があと2年遅く出世してくれたら俺は最低でも20回は優勝出来たな。あの野郎、急に強くなりやがって!」と苦笑いして話してくれた。「あいつとの相撲は本当シンドかった!」とも言った。北ノ湖の方は「輪島関がいたおかげで精進できた」と言っていたんだけどなぁ(笑)。お互いそれぞれ思惑があったにせよ、素晴らしいライバル関係だったのは間違いあるまい。「馬場さんには本当に感謝している」「プロレスは難しい!大変な世界に入ってしまった。だけど後悔はしてないよ」「今まで面倒をかけた人に恩返しをしたい。ベルトを巻きたいなぁ。チャンピオンになりたい!」1988年暮れの最強タッグシリーズ、輪島さんはポツリと話しかけてきた。「輪島はもうおしまいか?渕君」「何を言ってるんです!そんなことはありませんよ!」「そうかなぁ…」横浜文体にて2人でストレッチ運動をやってる最中の時だった。何か輪
島さんは寂しそうであった。1週間後、輪島さんは突然、静かにプロレス界から身を引いた。「チャンピオンベルトを巻きたい!」と言ってた頃からまだ1年たっていなかった。「プロレスの世界でも横綱にならなければなぁ(笑)。ベルトが欲しい!」相撲同様プロレス界もけっして甘くない。それでも輪島さんはかなりの練習量を積んでたことを私は知っている。
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渕選手へ
ブログ拝見しました。テレビのニュースで見たお姿はとてもやせていましたが、お顔はプロレス誌で見ていた写真そのままに感じました。心からご冥福をお祈り致します。