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テレビとプロレス

公開日: : ブログ

「全国3千万のプロレスファンの皆さん、こんばんは…」で始まった1960年代のプロレステレビ中継の実況放送。実際視聴率30%以上あったんだからねぇ。テレビ放映によってプロレス人気は大いに高まった。新橋での街頭テレビ前の人だかり。戦後復興の一つの証しとして画像に残り記憶されている。小さな街頭テレビの前になんと2万人近く集まったと云うが、本当かい?(笑)あながち大袈裟とも言えない。当時の画像を見るに凄まじい人の数だもの。力道山木村政彦組対シャープ兄弟組の試合。会場の蔵前国技館の観衆も熱狂したが、街頭テレビ前は歓声と怒号で大興奮だったらしい。戦後からまだ10年たってない。海のものとも山のものともわからないプロレスを日本に根付かせようとしてテレビ局に協力を頼み込んだ力道山はまさに先見の明があった。プロレス人気は最高潮となり、プロレスを見るためにテレビを買う状況でテレビの販売台数が驚異的に伸びた。当時給料何ヵ月分もする高値だったんだけどねぇ、テレビは。テレビ放映のお陰でプロレス人気は高まり、またプロレ
スのお陰でテレビの販売台数が伸びた。相乗効果だったんだよね。これは日本だけじゃなくアメリカでもそうだったらしいね。ともかく昭和40年代中頃までプロレス中継の視聴率は30%をキープしていたんだから凄かったんだね。プロレスラーのステータスもむろん高かった。ジャイアント馬場、デストロイヤーは誰でも知ってるヒーローだった。それはわかる、じゃ今はどうなんだい?と言われれば、うつ向くしかない(笑)。今では地上波で放映されているのは新日本のみ。団体数は増えた。レスラーの技量は以前に比べかなり上がっている。だけどなぁ…なんと言うか、残念ながら今ではテレビ界にとってプロレスはもはや相乗作用が働かないものなのかねぇ?昭和ブームがまだまだ続いている昨今。昭和時代のプロレスを地上波でたまに特集したらどうだろう?かなりの資料というか史料を保管している日本テレビさん、お考えください(笑)。

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Comment

  1. より:

    渕選手へ
    「テレビとプロレス」拝見しました。素敵な企画どうもありがとうございます。仰る通り、ゴールデンタイムに放送して頂ければ嬉しいですね。家族からプロレスの話を聞いて興味を持った様に、良い切っ掛けに成る事と思います。是非、時代を支えている文化として取り上げて頂きたく存じます。

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