一番ハードな試合だった!
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プロレス少年でもあった私はプロレスラーになっても憧れの馬場さんに遠慮なく結構質問した。今考えれば、なんともめんどくさい弟子であったろう(笑)。「ハード?…そうだなぁ、ドリーとの試合かなぁ」「あっ、あの昭和45年7月の大阪府立の試合ですか」「そうそう。よく知ってるな。あの時はマイッタ!もう心臓が破裂するかと思ったよ。とにかく1対1までは覚えている。その後は記憶にない(笑)。本当だぞ。テレビ中継でタイトルマッチ。タイトル防衛してリング上でインタビューしたようだが全く覚えてない(笑)。その後、控え室行く前の廊下で意識を失ったらしい。とにかく暑くて暑くて脱水症状を起こしていたんだな。あんなのは初めてだった…」。旧大阪府立体育会館での試合。たしかに夏場でのあの会場は暑かった!後年、ドリーファンクジュニアにも聞いた。「もっともハードでバッドコンディションの試合は1970年の大阪でやったババとの試合だ。最後は思うように身体が動かない!大変な暑さの上にテレビライト。観客も汗みどろだ。60代のレフェリーオキシキナは「ハートアタック、ハートアタック!」とリング上で訴えてくるし(笑)。これまでで一番ハードな試合だった!」。馬場さんはこうも言った。「リング上で汗が滴り落ちてもすぐに蒸発した。大袈裟じゃなく。摂氏40度はあった!」。ドリーは「45度はあった!」(笑)。とにかく酷い状態での試合だったんだね。当時、スタミナには絶対の自信を持っていた馬場さんとドリーが揃ってその試合が一番ハードだったと言うんだから凄い試合だったんだな。日本テレビに画像は残ってないのかなぁ?
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渕選手へ
ブログ拝見しました。贅沢を極めたインタビューかと。体感温度など体育館の環境も含めて試合が構成される事に気付きました。貴重なお話を綴って頂きまして、どうもありがとうございます。夜長に合わせて気温差が大きくなって来ましたので、体調管理にご注意願います。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。
お疲れ様です。過去2回全日本の試合を観に行きましたが、僕は大阪に住んでますので会場はもちろん府立体育館です。試合前、グッズなど売ってる売店で、馬場さんが目の前で直接書いてくれたサイン入りのTシャツを購入出来ました。売店の店員はなんとレフェリーの和田京平さんでした(笑)