*

1974年入門

公開日: : ブログ

受け身の後遺症か身体のそこらじゅうが痛くダメージ回復せぬままシリーズ参戦となった。参戦と言っても新弟子としての雑用係。シリーズ前日、アメリカ遠征から鶴田さんが帰って来た。「おっ!渕、戻ってるじゃないか!」「お久しぶりです」。1年振りに間近に見る鶴田さんはスターのオーラで輝いていた。鶴田さんは我々と同じく合宿所住まい。佐藤さんと大熊さんはアメリカへ旅立つ。合宿所住まいのメンバーは鶴田さん、大仁田、私とこのシリーズから約8ヶ月間特別参戦するベテランのフリーレスラーマティ鈴木さん。その年の8月には薗田一治が新たな新弟子として加わり計5人での合宿所生活。北九州の渕、長崎の大仁田、宮崎の薗田。我々3人は先輩達から九州の3バカと呼ばれた(笑)。この3人以外にも何人か入門希望者がいたが、結局はこの3人しか残らなかった。九州の3バカ、先輩達によくしぼられた。何年も何年も…。3時間から4時間の練習後は揃ってリング上で汗まみれの大の字。よくやったものよ。寝床では「お互いキツくてもへこたれずに頑張ろうな」と励ま
し合ったもんだ。なかなか体重は増えなかった。オフの時はしごかれ、シリーズ始まるとセコンド勤めと雑用。そして無論、巡業中でも練習。新弟子としては当たり前のこと。練習がキツいことも当たり前。そんな中でも、たまに鶴田さん、鈴木さん先頭に5人で夜、遊びに行くこともあり、それはそれで結構楽しかった。食後はよく鈴木さんの人生訓を聞かされた。鈴木さんの話は面白くまた為になった。渕20歳、大仁田16歳、薗田17歳。まさに青春ど真ん中だったなぁ〓3人ともいずれ将来はアメリカ遠征という夢を持っていた。鶴田さんは23歳。若くて強くて有名人。格好良かった。本当モテモテだったなぁ。スポンサーは何人もいた。そのスポンサー筋に我々3バカも鶴田さんのお供であちこちと連れて行ってもらった。若くて好奇心旺盛。楽しかった。しかし、3バカの新弟子時代は4年間も続いた。

関連記事

1982年プエルトリコ

ブッチャーと。プエルトリコマット界では常にトップヒール(悪役)であった。試合後はよくバーに出掛け、お

記事を読む

虫多し

埼玉北部の田舎暮らしだとやはり虫が多い。やむを得ないことだけどね。蚊とかハエは厄介だな。また結構丈夫

記事を読む

7回忌

三澤光晴が亡くなって6年。いろいろ想い出がある。1990年代。三澤ら四天王が大活躍した頃が全日本プロ

記事を読む

64歳夏…

こう暑いとウォーキングはやってないし庭手入れもやってない。ストレッチは少し。酒は飲んでいる。一緒に住

記事を読む

バスでの長旅。

本日は3連戦の後の休日。だが愛媛から浜松までのバスでの長旅。朝10時の出発。只今移動中。たぶん浜松着

記事を読む

名誉市民

ジャイアント馬場さんが新潟県三条市の名誉市民となることが決まった。おめでたく嬉しいことである。馬場さ

記事を読む

在宅なり

本日より全日本の皆は沖縄である。朝早くから羽田空港より沖縄に向かったようだ。沖縄にもしばらく行ってな

記事を読む

9月になっても

まだまだ残暑がきびしい。天候はなかなかスッキリしないしね。蒸し暑いわけだ。全日本プロレスはこの9月王

記事を読む

感謝と感動

平昌オリンピックフィギュアスケート羽生結弦の金メダル獲得は日本中に感動を与えたね。そしてインタビュー

記事を読む

台風一過

まさに台風一過。本日は秋晴れだったね。体調もだんだん良くなった。そうじゃなきゃアジアタッグでは戦えな

記事を読む

Comment

  1. より:

    渕選手へ
    新弟子時代のお話、拝見しました。体造りの厳しい練習でも楽しかったと振り返る事が出来るなんて、とても思い出深い時代かと存じます。続き方がとても気になっていますので何卒よろしくお願い致します。まだ気候が安定してくれません。どうぞお疲れになどなりません様、ご自愛くださいませ。

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

当たり前に感謝

普通に歩けることに感謝。目が見えること、喋れること、味覚があること…当

予期せぬこと!

突然だった。昨夜六本木の居酒屋で食事後立ち上がったら左足首に違和感を感

昔書いた小説

もう10年以上前か。代々木のマンションで暇を見つけつて時たま書いていた

師走

今年は私がプロレス入門した昭和49年と曜日が一緒なんだね。明日12月2

冬近し…じゃなく

もう冬。朝晩寒いよねぇ!今我が叔父さんが来てくれて庭手入れに勤しんでく

→もっと見る

PAGE TOP ↑