馬場さんの話
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最終更新日:2016/10/31
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前回のブログの続きだが、力道山の死後、馬場さんが日本プロレス界にいなかったら本当日本のプロレスはどうなっていただろうと考えると背筋が寒くなる思いだ。馬場さんは1964年当時、実際に10年間はアメリカマットで活躍しようと本気考えたようだ。その頃、まだ26歳だったから10年アメリカに居たとしても35歳の若さだ。「俺が若い時分のアメリカマット界は今なんかより盛況だったしなぁ。アトキンスとニューヨークからカナダあたりを回ってたら結構稼いだぜ。社長業なんかやって金の苦労もしなくてすんだんだがなぁ…」と苦笑いしながら話してくれたことを思い出す。力道山が亡くなる年の第5回ワールドリーグ戦に馬場さんは1度帰国した。開幕戦で外国人エースのキラーコワルスキーと45分時間切れ引き分け。アメリカナイズされたスケールの大きなプロレスを見せいっぺんに力道山と並ぶ人気を獲得した。まだ25歳の若さながら知名度は力道山に次ぐものになっていく。そして半年日本マットで活躍して再びアメリカへ。2度目の渡米の2ヶ月後に力道山がこ
の世を去った。絶対的君主の力道山が亡くなり日本のプロレス界は一体どうなるのか?日本同様アメリカマット界でも人気レスラーとなっていた馬場さん。アメリカと日本でジャイアント馬場の取り合いとなったのは間違いあるまい(笑)。
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Comment
渕選手へ
馬場さんのお話、拝見しました。日本とアメリカの両方で良い師に恵まれ環境も整っているのであれば、どちらを選択されていても…やっぱり馬場さんとお話してみたかったです。今回は少し怖いお話でしたので、次回は馬場さんのお茶目な一面を(怒られ無い程度に)綴って頂きたく存じます。貴重なお話を綴って頂きまして、どうもありがとうございます。