想い出の曲
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昨夜は後楽園で試合。青木の追悼セレモニーあり。私は6人タッグ。ホテル宿泊。試合後は片山さんと食事。大いにリラックスしたんだが、翌朝起きると、なんと腰痛の兆し!ゆっくり起き上がる。やっぱり腰痛!チェックアウトして上野駅まで電車乗り継ぐ。試合具を詰めたバッグは重い!試合用の腰ベルトを着用。やっとの思いでグリーン車に座る。たった1試合でこの有り様。やわになったもんだ(笑)。さて想い出の曲だよね(笑)。馬場さんのことなんだよ。馬場さんがアメリカ修行時代、「上を向いて歩こう」をよく聴いていたのは全日本ファンの中では、ある程度有名な話。1961年の秋ごろ「スキヤキソング」としてアメリカ本土ではよく流れていたらしい。修行前の春先に日本で流行った歌が今アメリカで流れている。太平洋を眺めながら「この先には日本があるのか…」とセンチになったと聞く。要するにホームシックだね。それから「ワシントン広場の夜はふけて」。若い人は知らないだろうな。この曲も馬場さんにとって想い出深いもののようだ。これは2度目のアメリカ遠征
時。1963年暮れ、カナダのトロントでのこと。馬場さんが住むモーテルにアメリカの師匠フレッドアトキンスが暗い表情で飛び込んで来た。「馬場大変だぞ!リキが死んだぞ!」と。驚きのあまり声が出ない馬場さんはそのままソファに横になった。その時、ラジオから流れていた曲が「ワシントン広場の夜はふけて」であった。それ以後、この曲を聴く度に「力道山死去」を知ったトロントの夜を想い出すと馬場さん本人から聞いた。私も小学生の頃、よく聴いた曲である。だから60代以上の人には懐かしいんじゃないかな。ここんとこ聴かないね。力道山が居なくなって日本のプロレスはどうなるのか?力道山は絶対的存在であった。このままアメリカに移住するか?馬場さんは本気で悩んだようだ。後年、馬場さんは力道山の後継者になり得たんだが、この2曲が想い出深いものだったのは間違いないね。
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Comment
渕選手へ
「想い出の曲」拝見しました。試合お疲れ様です。体が資本ですので、しっかりとお体を労って頂きます様お願い致します。
「上を向いて歩こう」は、まだ過剰に反応してしまう悲しい曲のイメージです。いつか泣かずに聞く事が出来る日まで頑張ります。まだ湿度が高く、体調管理が難しい時期かと。どうぞお疲れなど残されません様、ご自愛くださいませ。